ブログ始めました

本を読んだ感想とかデザインのこととか書くと思います。

キャラクタークリエイト機能の不全による生きづらさ

最近ツイッターで流れてきた「みんながリーダーを経験しなくてはいけない理由〜」みたいな記事を読んで腹が立ったので、ガーッと書いてしまいました。

 

-----

 

目まぐるしくルールが変化していく現代は、素早く現状に適応する能力は必須だ。
現代に生きる人間は「自分は〜ができる」というアイデンティティやキャラクターを装備していなくてはいけない。
そして、キャラクターというのは必要に応じてレベルアップやジョブチェンジ、スキル付与などの「キャラクタークリエイト」ができるものだと思われている。
これは正しい。完全なデジタル世界ならば。
 
現実世界に受肉した存在である私たちは経験を内面化する。
心的に耐えられない大きな失敗をした時、その時の恐怖の記憶は消えない「ログ」として身体に刻み込まれる。
(これは物心ついて以降はもちろん、それ以前(幼児の「良い乳房・悪い乳房」概念からの脱出の失敗など正常な成長の不全)にもあるように思える。)
このログが、キャラクタークリエイトを阻むことがある。
 
ログは、過去の恐怖を幻視させる。
目の前にいる、征服しなくてはいけない敵、課題、環境が、たとえ他人から見たら小さなゴブリンだとしても、ログはそれをギガンテスに幻視させる。
レベル1の状態から成長しようと思っても、この世界にはギガンテスより弱い敵は存在しない。「にげる」コマンドを押すか、勝てる見込みのない戦いを挑むしかない。レベル1ではギガンテスは倒せないので成長もありえない。
酷い場合には、客観的には勝利しているのに本人にとっては全くそうでないように思えることもある。ログは、勝利すら敗北に幻視させる。
そうなったらもう終わりだ。ゲームは進まなくなり、無限に続く敗北の経験は以前のログをどんどん深く傷つけていく。1度折れた紙の折り目をどんなに引き伸ばしても跡が消えないように、ログも消えることはない。また簡単に折れるようになる。
 
ログのついてしまった身体は、それ以降のキャラクタークリエイトを阻む。
ゲームのステージが自己目的的に変わり続ける世界で、キャラクタークリエイト機能の不全は、ゲームへの参加を事実上不可能にさせる。
デジタル的な可塑性がルールとして現実に染み込んでも、現実の、硬い身体はそれに100%馴染むことはできない。
 
できれば、神父や村人Aのような、生まれつき決まった役柄であることが許された時代、そしてその役柄を「天職」と信じて疑わなかった時代に戻れるならと思うが、神が死んで以降の世界に生まれた私たちに、それは決してできない。
 
自分を主人公としてのゲームが進行不可であり、だからと言って村人Aにもなれないことに気づいた時、主人公であるところの私は「はじまりの村」を永遠にウロウロすることになる。
 
このゲームから降りる方法は、今のところ、自死によるログアウト以外には何も思いつかない。
もう少しだけ「はじまりの村」をウロウロしながらその方法を探してみようと思うが、このゲームは酷くつまらないし悲しくなるだけなので長くは続けられそうにない。

 遡ること。

[デザイン] 遡ること。
 
優れたプロダクトやサービスのデザインから、どのレイヤーで構造を抜き出すかというメモ。
 
 
 
layer_1
 
デザインされた物の、製作者の意図した目的・意味を読み取る。
(ex.この本は???学の初学者に向けて作られた本だ。)
 
layer_2
 
デザインされた物の、物の特性を知る。
(ex.本というのは、シーケンスがあるもの。)
 
layer_3
 
デザインされた物を、素材レベルに分解する。
(ex.本には〜という紙がよく使われる。それは???という目的のためだ。)
 
layer_x
 
 
 
---
 
1つ、または複数のlayerの入れ替え・誤読・洗練・抽出・利用ができるようになること。
広告を非表示にする

ビジコンモドキに参加して思ったこと。

ビジコンモドキに参加して思ったこと。
 
 
先日、あるビジコンモドキみたいなのにチームで参加してそこそこ良い結果を残すことができました。
その過程で思ったこととか学んだことを書いていこうと思います。
 
1:「サムい」が分かるという感覚
そのビジコンはたくさんの大学生が参加するのですが、7〜8割くらいのチームはとにかくプレゼンがサムかったです。サムさにも色々あって、無意味なBGMを流し始めるチーム、謎の寸劇を始めるチーム、身内の情報をウケると思って面白おかしく言うチームなどなどです。多分本人たちはそれが良いプレゼンだと思っているんでしょうが、審査員はそういった学生のノリには慣れてるようで、順当な点数をつけていました。
逆に考えると、サムくないだけで良いプレゼンになるだろうな〜と思うところも結構ありました。どんな案が良いか、どんなデザインが良いか、を考える力も大事ですが、「サムイ」という感覚を身につけることはそれに並ぶくらい重要なんだなあーと再認識しました。
 
2:話が進む仕組み作り
デザインを行う際、チームでも個人でも経験したことがあると思うのですが、案が出なくなることや、そのせいでモチベーションまで下がり、さらに案が出なくなり……という悪いループに入ることがあると思います。僕たちのチームでもそういうタイミングが多々ありました。そんな悪い流れがずっと続いていた時にチームの誰かが「30秒で1アイデアを出したら次の人に交代。それを繰り返すようにしよう」と提案し、それに従うとかなりスラスラ出ました。「なんだそんなことか、そんな方法常識だ」と思うかもしれませんが、なんでこんなシンプルな方法でたくさんのアイデアが出たんだろうか。考えてみました。
 
2−1:”質<量”を赦す免罪符としてのルール
僕たちのチームは幸い「サムい」が分かるメンバーばかりでした。しかしそのせいか「みんなが納得するようなアイデアを1発で出さなければ」という無意識の強迫観念みたいなものが話し合いの中でずっとあったような気がします。「質より量。量こそが質を生む」とデザインの教科書では散々言われていますが、そんなことは重々わかっていてもなお、”質>量”の思考モードに支配されていたのです。
そこで「30秒で出さなければならない」というルールが追加されるとどうでしょうか。”質>量”という雰囲気が暗黙のうちに流れていたのが、時間制限という条件のおかげで”質<量”に重きを置くことが絶対的なルールになりました。「みんなが納得するようなアイデアを1発で出さなければ」から「個人的には質の方が大事だと思っているけど、まぁルールだし、質は置いといてアイデア出すかぁ」という思考モードの変化が起きました。先ほどはルール、と言いましたが、免罪符と言った方がいいかもしれないです。さらに元々「サムい」感覚はみんなに備わっていることによって「いくら量が大事と言っても恥ずかしいアイデアはできるだけ出したくない」という思考モードも重なりました。その結果か、量の中でもかなりの確率で良いアイデアがありました。
 
2−2:ゲーミフィケーション的要素
強制的なルールと聞くと嫌なイメージがありますが、時間制限はむしろ苦痛のアイデア出しをゲーム的な面白さに変えました。時間が迫るとお互い焦らせたり、余計なことを言って気を反らせたりなどの些細な悪戯はゲームの面白さをさらに増しました。楽しんでやる、ということは馬鹿にできない要素です。
 
2−3:一人で考える時間
先ほど「みんなが納得するようなアイデアを1発で出さなければ」という無意識の強迫観念みたいなものがあったと言いましたが、それは思考に他者(みんな)が介入してしまうとも言えます。「自分は〜というアイデアがいいと思うけど、他の人は〜と言って反対しそうだな」という具合にです。一人で考えるべき時に他者の存在ははっきり言って邪魔です。しかしチームで集まって考える時に、特にルールを決めていないと一人で黙って考えているように見えても他者が介入してしまうのです。誰も喋っていないし反対もしていないのに誰も何も言わない。最悪の場合思考停止してしまいます。(最悪、と書きましたが僕は頻繁に思考停止してました)
そのような状況も”質<量”の免罪符は解決してくれます。ルールとして”質<量”が強く規定されているということは「質に対して誰も言及しない」という意識を生み、そして誰も言及しないという状態は一人で考える時間を確立してくれるのです。
 
以上の3つが「30秒ルール」の本質・効能だったと思います。そのあと、プレゼンの原稿を考える際にまた悪い空気に飲まれたことがあったので、以上を踏まえて「40分で各自プレゼンの構成を考えて見せ合う」というルールを設定したところうまくいきました。
”質<量”の話ばかりしましたが、当然”質>量”のモードが大事な時もあります。大事なのはそれを強制的にスイッチングできるかどうかの仕組み作りだと思います。
 
3:基本的に分業のスタンスはとらない
今回そこそこの成績を残せた要因として、僕はこれが1番だったと思います。他のチームでは、デザインはこの人!ビジネスはこの人!アイデアはこの人!と結構はっきり分業しているところもありましたが、それはある分野を一人に任せてしまうので監査機構がないという問題が発生します。アイデアでもデザインでも何でもそうですが、何度も検証し、仮定を見直し…というループがそれらの質を上げます。そしてそれは一人では限界があります。
対して僕らは得意分野は違えど、みんながそこそこデザインができて、そこそこアイデアが出せて、そこそこ構成ができる、と、最悪一人でも全てできるような最低限のスキルは担保されていました。なので一人の提案に対して他のメンバー全員が監査機構になり得ました。
僕たちはアイデア出しには苦戦しましたが、見直しや検証においてはどんな時でもかなりスムーズにできていたように思います。それがプレゼンの質の底上げになったのだと思います。
 
 
おわり